上江別地域の歴史の事歴年表
元 号 西  暦 事                     暦 出      典
紀元前
 
8500
 
上江別遺跡、縄文人がシカなどの動物を捕まえるために罠を仕掛けた狩猟用の「落とし穴」の遺構。 上江別遺跡調査記録
紀 元
 
300
 
江別太遺跡、江別式土器群、道央部に江別文化が成立する。 江別太遺跡調査記録
宝暦
 2 年

 
1752

 
飛騨屋久兵衛が石狩山の蝦夷檜の伐木を請負う。
「飛騨屋久兵衛石狩山伐木図」によると伊別川(江別川)河口に番屋があり、数件の家が描かれている。
新江別市史(本編)P77
 
文化
 3 年
1806
 
遠山金四郎「遠山・村垣西蝦夷日記」に伊別川(江別川)をのぼりシコツ越をした記述あり。 「遠山・村垣西蝦夷日記」
文化
 5 年



 
1808



 
幕府の砲術師井上貫流の一行に加わった高島の警備に当たった目付け斉藤治左衛門の帰国日誌に「早苗別川が江別川に流れ込むあたりに、「サヌ井ベツ(早苗別)」という棒杭あり。其側に小川あり、右の方なり。」の記述あり。 斉藤治左衛門の帰国日誌


 
弘化
 3 年




 
1846




 
松浦武四郎「再航蝦夷日誌」に「サナエベツ」の地名が記載あり。
「イベツプト従ニツイシカリ番屋一一里四五丁、エベツプトとも云う.本川より右へ大枝川なり。即此川ヘ上る也。又枝川少々遡りて、サヌイベツ、訛てサノイへ(早苗別、現在上江別)と云る成り。」
「再航蝦夷日誌」




 
明 治
 11年


 
1878


 
(8月)江別屯田兵10戸56名の移住を見る。10月5日、江別太といわれたこの地が府県布達をもって村名江別村に決定される。
(江別開基10月5日)



 
明 治
 23年






 
1890






 
早苗別と(野幌)丘陵地帯との間にある、この低地の泥炭地帯は江別屯田兵村の追給地であった。
 僅かに現在の早苗別川橋付近から広島への進路(その頃は、この道路はなく、広島、江別には江別川をつかっていた)の間の草原が牛馬の草刈場となったり、また、競馬場ともなっていた。その形が丁度「ひょうたん形」に出来ていたので、その頃「ひょうたん競馬場」の名があったといわれている。
「江別屯田兵村史」






 
明 治
 25年
1891
 
北海道炭鉱鉄道の木工場が、幌内鉄道の機関庫を改装して開設。江別における工場のはじめなり。 新江別市史(本編)
 
明 治
 29年
 
1896

 
北越植民社の吉本氏が下の月地域に入植。(その後順次、星氏、深谷氏、山崎氏、市川氏、渡部氏が入植)
 


 
明 治
 31年
1898
 
(9月)石狩川、未曾有の大洪水、
田村与松氏が上江別に入植、直後にカナダへ出稼ぎ
新江別市史(本編)P117
明 治
 33年







 
1900







 
砂川氏が上江別に移住。明治37年頃には、27戸を数える。明治44年
字中原(現在の北海鋼機付近)と合わせ、字早苗別となる。
新江別市史(本編)P117

 
[明治に上江別に入植した人々]
大井 清、砂川吉蔵、田村与松、三田谷次郎、砂川与喜間、若林某、仙北谷銀四郎、森崎某、松浦スエ、坂本与三松、長谷川熊次郎、星野清松、長土井某、小田某、高川初太郎、長井正吉、西山重太郎の各氏である。
「上江別今昔」
 木村光男



 
明 治
 34年
1901
 
田村与松氏が出稼ぎ先のカナダ、バンクーバーから帰国
 
明 治
 36年
1903
 
(12月)早苗橋の木造橋架橋
 
新江別市史(資料編)
明 治
 37年



 
1904



 
(7月)大水害(避難民720名)
(2月)日露戦争がおきる。
(8月)日露戦争のため江別村より屯田兵等235名が出征。
「屯田兵条例」の廃止。




 
明 治
 39年
1906
 
(9月)江別屯田兵村に伝染病隔離病舎が設置される。
「屯田兵士土地給与規則」の廃止。

 
明 治
 43年
1910
 
江別村12部の区域再編を行う。江別村のうち、中原部落を早苗別部落に併合し、早苗別部とする。
 
大正
 3 年
1914
 
(2月)江別村隔離病舎の移転新築(於・早苗別)
 

 
大正
 4 年
1915
 
江別から広島につながる広島道路が改修整備される。
 

 
大正
 5 年



 
1916



 
江別村が、江別長に解消
江別町の行政区域がこれまで13部に区画されていたものを19部制に改正。
(11月)夕張鉄道の野幌〜夕張間が開通
(12月)早苗別橋が出来る。早苗別道路が開通する。




 
大正
 6 年
1917
 
し尿汲取共同組合が結成される。上江別の砂川与喜間氏等が請負人になる。
 
大正
 7 年



 
1918



 
(11月)石狩製鉄所江別工場の創業。(創業年で休業)
「石狩製鉄所は、(中略)早苗別に敷地約30町歩を求め、1日25トンの銑鉄を製出する溶鉱炉を設置、…」
新江別市史(本編)P233


 
大正
 9 年
1920
 
(7月)7月8日の降雨のため石狩川及び江別川が氾濫する。 砂川家同族史年表
 
大 正
 10年

 
1921

 
砂川輿喜間氏が井戸水による小面積の水田耕作を行い、成功する。
広島道路の道幅が広く改修整備される。


 
大 正
 11年




 
1922





 
水害あり、江別村田畑1,300余町歩流失する。
製鉄所のポンプを借り受け、17町歩造田を実施。水稲を試作。
「砂川輿喜間、太田喜吉、日下部郡次郎、田村順造、西山豊、坂本輿吉」
試作面積は10数町歩、1反につき3俵〜4俵。
早苗別伝染病隔離病舎に町医が配置される。
砂川家同族史年表
「上江別今昔」 木村光男




 
大 正
 12年







 
1923







 
(12月)早苗別土工組合が設立される。
早苗別が江別において最初に発足した土工組合であるが、設置の揚水機は、大戦景気の後に来た不況のため、僅か数ヶ月で廃業のやむなきにいたった旧石狩製鉄所江別工場のものを使った
江別川の大規模治水工事が開始。後に江別太遺跡が発見された千歳川の湾曲部のショートカット工事が行われる。この治水工事により「江別川」の名称が「千歳川」に変わる。
新江別市史(本編)P320






 
大 正
 13年



 
1924



 
(3月)揚水機場設置の工事が起工
岡田組が工事を請負う。現場監督沢田外次郎のもと、工事は着々と進み、大正15年5月18日、通水開始。総工費56,076円(国庫補助14,875円、組合負担41,201円)




 
大 正
 15年


 
1926


 
(1月)早苗別に江別町屠殺場が開場。
冷水害凶作続く。
「希有の凶作は幌向太、早苗別、篠津村等新田地方において特に著しきものあり…」

昭和2年江別町事務概要
 
昭和
 3 年
1928
 
(9月)鉄道事故死者を慰霊するお地蔵さんが高砂町の線路脇に建てられる。
 
昭和
 5 年



 
1930



 
(8・9月)石狩川本流、支流氾濫し、被害田畑4,123町に及ぶ。
(11月)夕張鉄道(野幌〜夕張)が開通。早苗別駅(昭和10年に上江別駅)が開業。
江別町青年団早苗別分団創立20周年記念。
砂川家同族史年表
えべつ昭和史



 
昭和
 6 年



 
1931



 
水害凶作380町歩が泥水と化す。
早苗別副業(養兎、養鶏、養豚、竹細工)研究会発足。「刻下の情勢に鑑み最も緊要なる事項は副業組合の助成其他指導奨励に一段と力を尽くし…」
救農土木事業で広島道路を整備。
砂川家同族史年表
昭和6年江別町事務概要


 
昭和
 7 年
1932
 
(8月)霧雨のため各河川氾濫、耕地7千余町歩浸水凶作となる。 砂川家同族史年表
 
昭和
 9 年

 
1934

 
(3月)上江別会館(クラブ)が建設される。
会館は早苗別青年団の活動の拠点となる。
水害のため7分作となる。
砂川家同族史年表

 
昭 和
 10年

 
1935

 
(4月)江別町全地域の町名地番改正。地名改称で、「早苗別」が「上江別」となる。
冷水害凶作6分作となる。


 
昭 和
 11年
 
1936

 
陸軍大演習が北海道で行われ、昭和天皇が野幌原始林を散策。そのため、8月、9月に野幌原始林の熊狩りや井戸水の水質検査が行われる。

 
昭 和
 14年
1939
 
(3月)上江別で火災。4戸2棟焼失。母児2名焼死。
 

 
昭 和
 15年
1940
 
大政翼賛会が結成され、上江別町内会と上江別部落会が翼賛会の傘下に入る。
 
昭 和
 16年






 
1941







 
昭和14年から16年までの3年間、江別の青年学校の相撲チームは、石狩管内相撲大会で連続優勝を勝ち取る。
昭和16年には全道大会に出場し、団体優勝に輝く。上江別第一自治会の第9代会長の高柳武治氏が選手として活躍。石狩支庁管内青年学校相撲大会個人戦で優勝を勝ち取る。
(7月)下の月部落にクマが出没。部落総出でクマを
捕獲する。
叢書「江別に生きる9」
江別青年学校物語
中村齋著





 
昭 和
 17年

 
1942

 
大政翼賛会が結成され、上江別地域の部落会が再編成され、上江別連合部落会のもと、第一、第二、第三部落会が組織される。

 
昭 和
 20年




 
1945




 
(3月)大雪で夕張鉄道が止まる。
上江別の地域の人達が、雪で埋まった線路を掘り出す作業に当たる。
(7月)江別空襲
上江別地域の上空を米軍の戦闘機が飛び交う。
(8月)日本が敗戦





 
昭 和
 22年

 
1947

 
上江別連合部落会が解散させられる。
江別第一中学校が開校(江別小学校の教室を間借りしての開校)


 
昭 和
 23年
1948
 
(5月)上江別で火災。煙突の飛び火のより住宅3棟焼失。
 
昭 和
 24年
1949
 
(11月)下の月小学校が開校。
 

 
昭 和
 27年


 
1952


 
(4月)早苗別土工組合・早苗別土地改良区に改組
江別第一中学校の新校舎が落成。
上江別の隔離病舎が元江別にある町立病院に付設。
国道27号線が現在の国道12号線に切り替わる。



 
昭 和
 28年

 
1953

 
第5回江別町青少年弁論大会において上江別地域の青年が多数上位入賞する。
下の月小学校の新校舎が落成。


 
昭 和
 29年



 
1954



 
冷害、台風により被害甚大。
江別市が誕生する。市政施行第一回家畜品評会を上江別家畜市場で開催
上江別家畜市場の南側、早苗別川の対岸に小型自動車運転免許実施試験場が開設される。
砂川家同族史年表



 
昭 和
 30年


 
1955


 
石狩川増水により各支流氾濫。
上江別青少年会が第6回全道青年大会で、優良青年団として表彰を受ける。
NHKの実況放送「青年学級の友へ」の取材も受ける。
砂川家同族史年表


 
昭 和
 31年
1956
 
千歳川を水源とする上江別浄水場が給水を開始する。
(9月)上江別、札幌大通り間の夕張バスが運行開始

 
昭 和
 32年
1957
 
(5月)上江別で火災。放火により4棟焼失。
(12月)上江別に母子寮完成。

 
昭 和
 35年
1957
 
早苗別川の埋立地のゴミ処理場が廃止
 
昭和35年
市政だより
昭 和
 36年
1951
 
(9月)早苗別青年団OB会「早苗会」が結成
7月集中豪雨により、農作物被害7億円を記録する。

 
昭 和
 37年




 
1962




 
上江別浄水場工事完成を見る。
北海道開拓以来の大水害。台風9号により罹災世帯1千余戸に及ぶ。
北海鋼機が中原地区に進出。
北海鋼機が地下水を工場用水に使用、中原地区の井戸水がかれる。





 
昭 和
 38年

 
1963

 
千歳川緊急2ケ年計画で、上江別地域の築堤工事が行われる。
(7月)草野作工が、第一中学校にプールを寄贈。


 
昭 和
 39年

 
1964

 
(10月)上江別の一部を東野幌に編入。
高砂遺跡の発掘に江高、一中、二中、三中の生徒40人が参加する。


 
昭 和
 40年


 
1965


 
泉の沼河道切り替え工事
砂川富男氏の耕作地が千歳川のショートカット工事で
江別太側に移る。
(12月)早苗別川橋完成



 
昭 和
 41年




 
1968




 
(6月)早苗別土地改良区が江別土地改良区早苗別地区として新発足。
(12月)江別市自治会連絡協議会が設立される。上江別第一自治会、第二自治会が結成される。
昭和39年から2ケ年計画で進められていた「早苗別橋」の架け替え工事が完成する。





 
昭 和
 43年








 
1970









 
(8月)「早苗別開発の碑」が揚排兼用の江別機場の完成を記念して建立。
記念碑に功労者として次の諸氏の氏名が記載。
「砂川輿喜間、坂本輿吉、太田吉喜、西山豊吉、渡辺一平、岡田伊太郎、三田文次郎、岩田友男、木村倬三郎、澤田外次郎、星染吉、寺川定次郎、中村弥吉、西山喜市、砂川仁蔵、太田豊則、西山卯平治、御坊田庄吉郎、佐藤北士、富樫一、加藤幸次郎、河合才一郎、保科一朗、篠木軍治、永井勇、桑原秀吉、砂川道明、土蔵健治、目黒新五郎、砂川武士、澤田繁一、星武、星清、深谷正、戸田太作」
「早苗別開発の碑」









 
昭 和
 44年
1971
 
上江別にあった共進会場が廃止、角山に移転する。
 

 
昭 和
 45年
1972
 
(1月)江別において減反政策開始
(12月)上江別自衛消防団が設立

 
昭 和
 46年

 
1973

 
(4月)上江別自衛消防団が解散
(12月)江別市消防団上江別分団が設立、上江別出張所が設置される。


 
昭 和
 47年

 
1972

 
上江別排水機場、早苗別川樋門、集水路等の工事完了、上江別町内を流れる早苗別川の水量が減少
(7月)上江別簡易郵便局が開局


 
昭 和
 49年


 
1974


 
(4月)上江別幼稚園の開設
(9月)上江別小学校の建設用地が買収される。
夕張鉄道の栗山、野幌間の旅客輸送が廃止、上江別駅が廃駅となる



 
昭 和
 50年
1975
 
(3月)夕張鉄道が全線廃止。
 

 
昭 和
 53年
1978
 
(8月)江別太遺跡が発掘される。
(道央縦貫道橋脚基底工事中に発見)
江別太遺跡調査報告書
昭 和
 54年
1979
 
(11月)上江別の一部を上江別東町、上江別西町、上江別南町に町名変更。
 
昭 和
 55年

 
1980

 
(3月)下の月小学校が閉校。
(4月)上江別で火災。子供の火遊びから2戸1棟焼失、5名の児童焼死。


 
昭 和
 56年
1981
 
記録的な大水害で上江別地域は甚大な被害を受ける。
 

 
昭 和
 60年
1985
 
(3月)市街化区域が6年ぶりに見直され、市街化区域に上江別地域が編入。
 
昭 和
 61年
1986
 
(3月)上江別南町公園オープン
 

 
昭 和
 63年
1988
 
(6月)早苗別川改修工事で「ホタル護岸工法」の採用が決定。
 
平成
 元 年
1989
 
(11月)上江別に雇用促進住宅「サンコーポラス江別」完成
 
平成
 2 年


 
1990


 
上江別遺跡が発掘される。(サーム高砂壱番館、弐番館の建設予定地)
(6月)江別ホタルの会・早苗別川にホタルの幼虫500匹放流。
上江別遺跡調査報告書

 
平成
 3 年
1991
 
早苗別川橋永久橋が完成。橋の袖4ヵ所に蛍のレリーフが飾られる。
 
平成
 5 年
1993
 
(10月)上江別南土地区画整理事業決定。
上江別幼稚園が現在地に新築移転する。

 
平成
 6 年


 
1994


 
(4月)上江別南土地区画整理事業はじまる。
(7月)早苗別川土手から、キ106戦闘機の設計図が収められたブリキ箱を発見する。
(11月)きらら街道に交通安全広告塔が建てられる。



 
平 成
 10年


 
1998


 
(6月)早苗別排水機場・完工
早苗別水門、早苗別川放水路、早苗別排水機場建設
早苗別排水機場が建造物部門において第12回江別市年景観賞をする。受賞



 
平 成
 11年
1999
 
(4月)上江別小学校が開校する。
 

 
平 成
 13年
2001
 
上江別小ドッチボール少年団「スーパーダイヤモンズ」
道大会優勝、全国大会に出場

 
平 成
 14年

 
2002

 
(10月)上江別地域の区画整理で旧上江別が上江別南町、上江別東町、ゆめみ野南町、ゆめみ野東町、朝日町の新番地になる。

 
平 成
 15年
2003
 
(9月)上江別幼稚園が創立30周年記念式典を挙行。
 

 
平 成
 17年
2005
 
夕張鉄道バスの上江別小学校前のバスの停留所が設置される。
 
平 成
 19年
2007
 
(3月)上江別小学校が上江別の地域の歴史お話集の「上江別物語60話」を発行する。