U.遺跡からみる「対雁」
クイズ2

★江別に人が住み始めたのは、いつごろでしょうか。
  1.およそ300年前    2.およそ1000年前  3.およそ8000年前
  4.およそ15000年前  5.およそ1億年前

1.坊主山遺跡出土 江別式土器56点(有形文化財 昭和57年7月1日指定)

 縄文時代(1世紀〜6世紀)の中頃、それまで南と北に分かれていた北海道の土器文化は、江別を中心とした石狩低地帯において融合し、独特な土器文化をを生み出した。
 この土器は一般に江別式土器と呼ばれ、この文化を江別文化と呼ぶ。
 この土器文化はまたたくまに全道に波及し、さらには津軽海峡を越えて東北地方北部にまで及んだ。
 指定された57点は、江別式土器の標式遺跡「坊主山遺跡」から出土した土器で、江別式土器の文様と形態を良く示しているとともに江別式土器の移り変わりを示した貴重な資料である。
  (江別市教育委員会のホームページより)

2.江別市旧豊平河畔遺跡(続縄文時代のむら)出土

旧豊平河畔遺跡の住居跡

2011.8.13撮影

3.江別チャシ(アイヌ文化期)

 対雁小学校から5丁目通
りに出て工栄町方向に向かい、インターとの交差点(110号線)を右折すると、かりんとうで有名な「浜塚製菓」の手前左側(沢と川に面した高さ10mほどの崖の上)に史跡あとを示す柱が立っている。
 江別には他に、昭和初期まで、二重の壕があるチャシも残っていたが、周辺地域の宅地化とともに消滅し現在は確認できない。

Googleマップより

4.対雁2遺跡(江別市工栄町28 河川敷緑地)

北海道埋蔵文化財センターだより「テエタ」第15号より************************************

 遺跡は、JR江別駅の北西約4kmの石狩川左岸、世田豊平川との合流地点より上流側の河川敷
地内にあります。今年で7年目の調査になります。これまでに縄文晩期後葉〜続縄文(約1,700〜2,500年前)にかけての土坑・焼土等の遺構、土器・石器等の遺物が多く確認されています。この遺
跡は、狩猟や漁労等を行う際に一時的に利用された場所と考えられ、繰り返し使用されていたよう
です。
 写真は、今年度に確認された土坑のひとつで、炭化した大量のクルミと焼けて橙色になった焼土
が検出されたものです。土坑の中でクルミを焼いたものと考えられ、数回にわたって使用されたよう
です。******************************************************************************

 2011年8月13日、対雁2遺跡の発掘
現場に取材に行ったところ、北海道埋蔵文化財センターの佐川氏が親切に応対してくださった。
 今年の春、同センター藤井氏と話す中で6年生の遠足で現場を見学しては・・・ということになったが、遠足当日と着工初日がピッタリと重なったため、断念した。今年10月末まで発掘が続くということなので、見学に行ってみては・・・。
 縄文晩期にかけての遺跡ということで1700年から2500年前の遺物(土器の破片や矢尻、サケの椎骨など)が出土しているが、定住地ではなくサケ漁などを行い加工した漁場として使用したキャンプ場のような場所。
 見学時には、火をおこした跡やピットと呼ばれる円形の窪みを見ることができた。

teeta13号
teeta15号

土器片が顔をのぞかせている

薄茶色に見える部分が火をおこした跡

 ピット(写真左)と呼ばれる円形の窪みが、小高
い部分に多数存在する。大きさは直径1m前後
のこの穴は、現在のところ何のために作られたものか不明という。サケを加工するための調理場としてでも使ったのだろうか・・・。使用目的を想像するのが楽しい。

 遺跡全景(写真下)規模は、120m×17m
作業を効率的に進めるため、細かなブロックに分けて掘り進めている。全体を2mほど掘り下げる。

 遺跡からは、その場所の使用目的が分かる。遺物として土器が多数出てきているのであれば、集落跡と想像でき、矢尻などの石器しか出てこなかったとしたら狩猟・漁労場跡ということになる。下記に江別市内の遺跡をまとめてみたが、そのような視点から遺跡をめぐってみるのは楽しいかもしれない。



江別市教育委員会作成
「史跡が語る江別の歩」8頁より転載          ■現在の様子      

江別再発見 対雁2遺跡

シリーズ江別再発見 「対雁2遺跡」のビデオ

 縦に伸びる筋は、液状化した跡(噴砂)。
過去に巨大地震があった証拠である。

 日本列島における人類の歴史は、約10万年前までさかのぼる。
 では、江別に人が住み始めたのは、いったいいつ頃からなのだろうか。江別では、現在のところ旧石器時代の遺物は発見されていない。
 江別市郷土資料館に展示されている、最も古い縄文土器は、8500年ほど前のものである。 江別市郷土資料館蔵 8500年前の縄文土器

 本州・四国・九州地方(ご存じ、縄文・弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉・室町〜)と北海道(縄文・続縄文・擦文・アイヌ文化〜)・沖縄地方(貝塚・グスク・三山〜)とでは歴史が異なっているが、土器文化の始まりの時代である縄文時代においては、ほぼ同一視されている。

 江別に「人が往来し始めたのは」という表現と、「人が住み始めたのは」という表現には、大きな違いがあるが、「往来し始めた」のは、約2万年前とされている。何とその当時、北海道は大陸と陸続きであった。(下図参照)
 
 
 このようなことから、江別が集落の場となったのは、8000年以上前とされているようだ。縄文時代・続縄文時代・擦文時代・アイヌ文化時代と続き、江別に和人が移り住んで来てからは、まだ百数十年しかたっていないのである。

 下記の遺跡・史跡リストから、江別市内の遺跡等の半数ほどが「対雁」地域(●で示したもの)にあることがわかり、江別発祥の地といわれる「対雁」の地域を学ぶ上で、大きな魅力となるだろう。

 江別市内の遺跡・史跡  ※●が対雁の関連遺跡等。
 ○萩ヶ岡遺跡(縄文時代中期から擦文時代にかけての複合遺跡)
 ○江別太遺跡(縄文時代晩期から続縄文時代前期にかけての遺跡、漁場跡)
 ○高砂遺跡(縄文時代早期から擦文時代にかけての複合遺跡、むらの跡)
 ○大麻3遺跡(縄文時代晩期から擦文時代、日本最北端の土偶出土遺跡)
 ○大麻5遺跡(縄文時代前期末頃、むらの跡)
 ○大麻6遺跡(縄文時代から続縄文時代、集落跡)
 ●坊主山遺跡(続縄文時代から擦文時代にかけての遺跡、江別式土器文化)
 ●元江別1遺跡(縄文時代中期から続縄文時代前期にかけての遺跡)
 ●江別古墳群(八世紀後半から九世紀にかけての群集墳)
 ●旧豊平河畔遺跡(続縄文時代中頃、集落跡)
 ●江別チャシ(1500年から1800年、祭祀場・集会・談合場・見張り場)
 ●対雁2遺跡(縄文時代晩期から続縄文前期、狩猟・漁労場跡)

因みに土器が作られたのは、日本が世界最古とされている。

遺跡の広がり

 また、集落や猟場を形成する上で欠かせないのが、食料庫としての山や川、湿地帯であり、交通手段としての川である。その意味でも野幌丘陵と石狩川・千歳川・世田豊平川などで挟まれる地域に存在する「対雁」は重要なエリアとみなすことができるだろう。

 野幌丘陵の先端(対雁)、石狩川に面した古砂丘、坊主山にある続縄文時代の遺跡。江別式土器の標準遺跡として知られている。