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江別太小学校70年の足跡 2

創成期、 地域と歩む小規模校の時代

 

 長い間の念願が苦労の末に実現しただけに、子どもたちはもとより、PTA、地域は、学校に深い愛着を持っていました。

 野村愛子先生が「学校ができたことで、四つの部落がひとつになって、すべてに協力しあい・・」と開校30 周年記念誌で述べているように、地域の結束は強まり、力強く学校を支える伝統が築かれました。

入学式を終えて(昭和29年)

 

 

 

 

運動会、子どもが走る。
大人も走る。俵かつぎ競争

第1回運動会を終えて。 地域のまとまりが強まった。(昭和24 年7 月)

 

 

 

 

 

 

教室をきれいに(昭和29年)         「私たち花壇」をお手入れ(昭和31年)

 

 

 

 

 

 

 

2学級時代。4 年生から6 年生まで同じ教室で勉強。(昭和30年)

 

 

学校におじいちゃんおばあちゃんを迎え敬老会。右は小学生の遊戯。(昭和31 年)

 

学校に協力する連合青年会(昭和26 年)     保護者によるグラウンド整備。(昭和35 年)

 

創成期、 地域と歩む小規模校の時代 2

 

 昭和23 年の開校時から昭和41 年3 月までの18 年間、江別太小は異なった学年が同じ教室で学ぶ複式の小規模校でした。当時の写真や新聞記事には「へき地校」「辺地校」など、今と同じ学校とは思えない言葉が見られます。
 しかし、この時代に培われた学校と地域の結びつきという伝統は、土台となって現在の江別太小を支えています。

昭和26 年に建てられ平成9 年まで使われた木造校舎と内部。★

 昭和30 年冬の集合写真。

 

 

 

 

 

 

PTA 主催の海水浴。汽車で銭函へ。「初めて海を見た子が多かった」と30 周年記念誌に記されている。(昭和30 年)

 

 

 

 

 

 

 

昭和34 年7 月の修学旅行。この年の6 年生は19 人。人数が多 いのは、豊幌小、篠津小、新野幌小との合同修学旅行だったため。

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和36 年に完成した最初の体育館。★

 

 

 

 

 

 

 

 

←へき地学校音楽祭に出場し、テレビ放映された。
(昭和35 年)




 
学芸会。(昭和30 年11 月)          秋晴れのもと、相撲大会。(昭和31 年)

 

スキー遠足。背景は 江別大橋。(昭和31 年)  土俵完成式。(昭和40 年8 月)★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和40 年から41 年と思われる航空写真。初期校舎と体育館に加えて、中古バスが見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


バスの寄贈を受け、音楽教室などに利用した。★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和39 年6 月1 日の北海タイムス。江別小学校の給食施設を使って親子給食を始めたことが報じられた。★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業写真が残っていた複式学校時代最後に近い昭和40 年3月の第17 回卒業生。複式最終は、次の第18 回卒業生。

 

 

 

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